恐山霊場
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恐山は、今をさかのぼること千百余年前、貞観4年(862年)に、天台宗の慈覚大師により霊山として開山されたと伝えられています。
この開山のきっかけとなったのは、慈覚大師が唐で修行中の頃、夢枕に立った高僧のお告げによると言われています。その高僧は慈覚大師に次のように語りました。
「汝、国に帰り、東方行程三十余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊一体を刻し、その地に仏道をひろめよ。」
帰国した慈覚大師は、お告げに従い、本州最北の地を目指したのです。
険しく厳しい道のりをひたすら歩き続け、辛苦の末にたどり着いたその場所は、まさしく探し求めてきた霊山。
むき出しの岩肌、あちらこちらの硫気孔から立ち上る蒸気、深く澄みわたる宇曽利山湖。そして、沸々と湧き出す温泉。おそらく慈覚大師の目には、この様子が極楽とも地獄とも思える光景に映ったことでしょう。
ほどなくして大師は、地蔵堂を建立、地蔵尊をまつり、修行に励んだとされています。
別名「宇曽利山」とも呼ばれている恐山は、高野山、比叡山と並び、日本三大霊山に数えられています。
その山を形成しているのは、宇曽利山湖を取り囲むようにそびえる、鶏頭・地蔵・剣・大尽・小尽・北国・屏風・釜臥と呼ばれる8つの外輪山。その姿は蓮華八葉(れんげはちよう)の姿を表すと言われています。
ところどころ硫黄泉が湧出し、亜硫酸ガスで岩肌が焼けて、この世の風景とは思えないような幻想的な地形に、ある者は地獄を想い、ある者は極楽を想う、その不思議な想いに浸ってしまうのです。
血の池地獄、重罪地獄、地獄谷、賽の河原、極楽浜、三途の川と名付けられた礼状は四季折々に色を変える宇曽利山湖の湖面と異様なまでにマッチした美しさがあります。
この開山のきっかけとなったのは、慈覚大師が唐で修行中の頃、夢枕に立った高僧のお告げによると言われています。その高僧は慈覚大師に次のように語りました。
「汝、国に帰り、東方行程三十余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊一体を刻し、その地に仏道をひろめよ。」
帰国した慈覚大師は、お告げに従い、本州最北の地を目指したのです。
険しく厳しい道のりをひたすら歩き続け、辛苦の末にたどり着いたその場所は、まさしく探し求めてきた霊山。
むき出しの岩肌、あちらこちらの硫気孔から立ち上る蒸気、深く澄みわたる宇曽利山湖。そして、沸々と湧き出す温泉。おそらく慈覚大師の目には、この様子が極楽とも地獄とも思える光景に映ったことでしょう。
ほどなくして大師は、地蔵堂を建立、地蔵尊をまつり、修行に励んだとされています。
別名「宇曽利山」とも呼ばれている恐山は、高野山、比叡山と並び、日本三大霊山に数えられています。
その山を形成しているのは、宇曽利山湖を取り囲むようにそびえる、鶏頭・地蔵・剣・大尽・小尽・北国・屏風・釜臥と呼ばれる8つの外輪山。その姿は蓮華八葉(れんげはちよう)の姿を表すと言われています。
ところどころ硫黄泉が湧出し、亜硫酸ガスで岩肌が焼けて、この世の風景とは思えないような幻想的な地形に、ある者は地獄を想い、ある者は極楽を想う、その不思議な想いに浸ってしまうのです。
血の池地獄、重罪地獄、地獄谷、賽の河原、極楽浜、三途の川と名付けられた礼状は四季折々に色を変える宇曽利山湖の湖面と異様なまでにマッチした美しさがあります。
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